大阪地方裁判所 昭和29年(ワ)1506号 判決 1955年8月12日
原告 兼一薬品株式会社
右代表者 大上修一
右代理人 鎌田政雄
被告 香下組こと 香下七郎
主文
本件訴訟全部を山口地方裁判所下関支部に移送する。
理由
一、本件訴訟の請求の趣旨及び原因
原告訴訟代理人は被告は「原告に対し金十五万八百三十八円及び本件訴状送達の翌日より支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり主張した。
(一) 原告は医薬品の販売を業とするものであるが被告に対し昭和二十七年十一月二十六日医薬品二口を代金合計一万三百二十円で売渡しその代金を再三請求するも被告は未だこれを支払わない。
(二) いずれも原告が自己を受取人として被告を支払人として振出した支払地下関市、支払場所西日本相互銀行下関支店(その他の要件は添附別表記載のとおり)とせる為替手形七通(此の手形金合計金を原告は金十四万五百三十八円と主張するがそれは別表の金額に対する原告の違算であることは計数上明かである。しかしそれはしばらく別論とする)について被告はそれぞれ別表引受日にこれが引受をし原告は各これが所持人である。よつて原告は右七通の手形を各支払期日に適法呈示して支払を求めたが支払を拒絶された。
(三) よつて右(一)(二)の合計金十五万五百三十八円及びこれに対する本件訴状送達の翌日より支払済に至るまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、管轄についての原告の主張
原告は本件右(一)の売買代金の支払場所については当事者間に別段の定めをしていないから法律の規定によつて大阪市内にある原告の肩書営業所においてこれが支払を受くべきであるからこれについては、原告の営業所を管轄する裁判所が義務履行地の裁判所として管轄権を有することはもちろん、(二)の為替手形金は民訴法第二十一条により右(一)と併合提起したものであるから(一)(二)の請求について大阪地方裁判所が適法に管轄権を有するこというまでもないと陳べた。
三、被告の管轄違の抗弁
右原告の本件訴訟提起に対し被告は本案前の抗弁として主文同旨の決定を求め、その理由として
(一)本件被告の住所は下関市にあるからその普通裁判籍所在地の管轄裁判所は山口地方裁判所下関支部である。(二)本件為替手形の義務履行地は下関市であるからその義務履行地の特別裁判籍も右と同様である。(三)本件売掛代金の義務履行地は大阪市にはない。元来被告は原告主張のような医薬品を原告より買受けたことが全然ないのであるからかかる代金の支払義務はもちろんその義務履行地なるものは当初より存在しないのである。被告は医薬品の販売業を営む者ではなく、同業を営む訴外有限会社藤香田商店の代表取締役にすぎない。而して原告主張の医薬品の買受は同訴外会社がしたのであつて被告が個人として原告より右商品を買受けた事実は皆無であり、結局被告に対する本件売掛代金主張は原告が為替手形金請求について民訴法第二十一条による管轄をつくるために作為したものであつて、元来同法条はかかる虚構の債務を主張する場合には適用がない。(四)本件については当事者間に管轄に関する合意は何ら存在しない。
以上の理由により本件は管轄違であること明かであるから民事訴訟法第三十条により移送を求めると主張する。
四、管轄についての立証
立証として原告訴訟代理人は甲第一乃至七号証を提出し証人寺西好子同久保田育郎の尋問を求め、
被告は乙第一号証を提出し甲号各証の成立を認めた。
当裁判所は職権を以つて被告本人の尋問をした。
五、裁判所の判断
(一) 先ず原告主張の売掛代金の請求について当裁判所が義務履行地の裁判所として管轄権を有するか否について判断する。(右売掛代金の訴額は本来簡易裁判所の事物管轄に属するが本件は(二)の為替手形金と併合提起せられたもの故その訴額の合算額は地方裁判所の管轄に属すること明かであるから、ここでは専ら土地管轄についてのみ判断する。)
管轄権はその裁判所が事件について裁判権を行使できる権限として、訴の審判については、訴訟要件即ち請求の当否について本案判決をする前提要件であり、裁判所が管轄権の存否について疑あるときは何時でもこれを調査すべきであり(民訴二八条)、管轄の有無について争あるときは原告は管轄を定むべき事実(管轄原因)の存在を証明することを要するは一般の原則である。而してこのことは管轄原因が請求原因と関係ない場合(民訴二条)はもちろん、その両者が関係ある場合(民訴一〇条の船籍所在地、民訴五条のうち特約による義務履行地等)及び、両者が全く符合する場合(民訴五条のうち支払地の特約のない金銭債務)でもその取扱を異にすべきではないと解する。すなわち右のことは義務履行地の裁判籍を判定する場合でも変りないのであつて、金銭債務についてその支払地の特約がある場合は先づ管轄の問題として原告はその特約の存在を立証すべく、右特約がない場合は(係争義務が契約上のものたると然らざるとを問わない)、かかる義務の存在することを前提として法律上(又は義務の性質上)その履行地が決定せられるのであるから、原告は先づ管轄の問題としてその義務の存在を立証しなければならない(原告はこの場合特約の存しないことまでも主張立証するの要はないこというまでもない)。すなわち後者の場合は管轄原因が請求原因と符合する場合であるがそれがために原告のいうがままに管轄を肯定して裁判所が本案の裁判をなすべきではないと解する。
右の点に関して反対の見解がある。曰く、「管轄ヲ定ムヘキ事実カ請求ヲ理由アラシムル事実ト符合スル場合ニアリテハ原告ハ特ニ管轄ヲ定ムヘキ事実ノ存在ヲ証明スルヲ要セスシテ管轄アリトナスニ十分ナリ。蓋シ此ノ場合ニハ請求ヲ理由アラシムル事実証明セラルルトキハ被告敗訴ノ言渡アルヘキモ其ノ裁判タルヤ本来管轄権アル裁判所ノ裁判タリ。又請求ヲ理由アラシムル事実証明セラレサルトキハ其ノ裁判ハ本来管轄ナカルヘカリシモノナルモ原告ノ請求ハ理由ナシトシテ棄却セラルルカ故ニ其訴訟ハ被告ノ利益ニ皈シ却テ被告ハ再ヒ同一訴訟ヲ提起セラルルノ煩ヲ免カルヘシ。然レハ管轄ヲ定ムヘキ事実カ請求ヲ理由アラシムル事実ト符合スルトキハ証明ヲ要セスシテ管轄アリトナスモ被告ハ何等痛痒ヲ感スルコトナシ。之ニ反シ若シ管轄ヲ定ムヘキ事実カ請求ヲ理由アラシムル事実ト符合スル場合ニ於テモ特ニ管轄ノ点ニ付証明ヲ要スルモノトナストキハ同一事実ニ付管轄ノ点ト本案ノ点トニ付二重ノ証明ヲ為ササルヘカラサルコトトナリ被告ノ為メ何等ノ実益ナクシテ原告ニ二重ノ労力ヲ課スルノ結果ニ陥ラン。此ノ如キハ労力ノ節約ヲ旨トスル民事訴訟法ノ精神ニアラサルコト疑ナキヲ以テ管轄ヲ定ムヘキ事実カ請求ヲ理由アラシムル事実ト符合スルトキハ特ニ管轄ノ点ニ付証明ヲ要セスシテ管轄アリトスルニ足ルモノト云ワサルヘカラス」(大審院大正四年(オ)六〇八号(同年一〇月二三日、三民判決、民録二一輯一七六五頁、民抄録六一巻一三四七四頁)と。しかしもしこのような場合裁判管轄の有無が起訴者の主張事実自体によつて定り特に証明を要しないものとするならば、民事訴訟法が訴は被告の普通裁判籍所在地の裁判所の管轄に属すとし、又種々の要件の下に特別裁判籍を規定し、これらを職権調査事項とした趣旨を沒却するものというべく、殊に実体法(民法四八四条商法五一六条)が支払地の特約ない金銭債務を広く持参債務とする関係上、かかる金銭債務の履行を求める訴訟においては民訴法第五条の適用上原告が無の債権を有と主張することだけで原告の営業所又は住所在地にその訴の管轄を創造することになり、かくて原告が支払地についての特約を主張立証する場合に比し甚しく原告に有利で、これがため普通裁判籍が被告を保護する趣旨は無視せられ甚しく被告に酷の結果を生ずるものといわねばならない。かくては鹿児島在住の被告は本来債務なきに拘らず原告の恣意的な訴訟のために或は北海道の裁判所に応訴義務が課せられることをも承認しなければならない。かくの如き結果はこれを裏よりいえば管轄を以て本案裁判をなす前提要件とした民訴法の構造を破るものといわなければならない。
(二)右反対見解によれば請求を理由あらしめる事実が証明せられなかつた場合はその裁判所は本来管轄権なかつたものであるが、原告の請求は理由なしとして棄却せられるのであるからその訴訟は被告の利益に皈し却つて被告は再び同一訴訟を提起せられない利益を有するというのであるが、本来管轄権のない裁判所において被告が勝訴判決を得ることはさように被告に決定的な利益をもたらすものではない。このことは敗訴の原告が控訴した場合を考えてみれば容易に判明するのであつて、被告がもし本来の管轄裁判所で勝訴(敗訴でも変りないが)していた場合はたとえ原告から上訴あつても福岡高裁を上訴裁判所として応訴することが出来たのに、右反対見解に従えば被告は札幌高裁に応訴義務が課せられることを承認しなければならぬのである(民訴法三八一・三九六)。すなわち右の反対見解はかかる場合第一審限りで判決確定することを前提としてのみ是認出来るが、さような特別規定のない現行法の下においては本来管轄権のない裁判所での本案判決はたとえ被告の勝訴の場合でもしかく被告に決定的な利益をもたらすものではない。(三)又反対見解によれば右の場合原告に管轄原因の証明を課すものとせば同一事項について原告は管轄原因と請求原因と二重の証明をなさねばならないことになり、かくの如きは労力の節約を旨とする民訴法の精神でないと主張するけれども、訴訟経済は現行法の枠内での理念であつて、このことのために管轄規定を無視してよいものでないことはいうをまたない。しかのみならず管轄についての証拠調の結果は本来の弁論において援用出来るのであるから同一事項について別個の目的で夫々調査をするとしても必ずしも二重の証明や二重の労力を課するものとはいえない。
これを要するに当裁判所の見解によれば、管轄原因たる事実が請求原因たる事実と符合する場合でも原告は管轄についての立証責任を免れるものではないし、本案の裁判はその管轄原因たる事実が肯定された場合においてのみなしうるものと解する。従つて管轄原因が否定される限り裁判所は事件を管轄違として管轄裁判所に移送し、移送をうけた裁判所において独自の見地に立つて請求原因についての本案の審理がなさるべきものと考える(高瀬徳太郎「履行地の特別裁判籍」新報四一巻六号七号、中島弘道「日本民事訴訟法」第一巻一九七頁、大審院大正一〇年(オ)九五三号同一一年四月六日二民判決、民集一巻一七四頁を対照)。而して右の見解に立つて本件売買代金についての管轄原因を調査するに、原告が被告に対し本件売掛代金債権を有するという証人久保田育郎の証言は後記認定事実にてらしてたやすく信を措き難く、却つて被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認むべき乙第一号証に証人寺西好子(一部)及び被告本人の各供述を綜合すれば被告は訴外有限会社藤香田商店の代表取締役で同社は下関市に本店を有し医薬品の販売業を営んでいるが原告はその主張の日時その主張の商品をその主張の代金で同訴外会社に売渡し、同訴外会社がこれを買受け、被告は同訴外会社の代表取締役としてこれに関与したことあるも被告個人として買受けたものではないことが認められる。果して然らば被告は原告に対し訴求にかかる売買代金債務を負担していないのであるから、存在せない義務について商法第五一六条第一項或は民法四八四条による義務履行地の存するいわれなく、結局民訴法第五条にいわゆる義務履行地の裁判所なるものも本件の場合は存在しないといわねばならない。従つて右請求については当裁判所に管轄なく、その管轄裁判所は被告の普通裁判籍所在地の裁判所の外には存しないといわなければならない。
(二) 次に為替手形金の請求についての管轄の有無について判断する。
原告は前記為替手形金は民訴法第二一条により、前記売買代金について管轄を有する当庁に併合提起する旨主張するが本来右は一の請求について管轄あることを前提とするものなるところ売買代金について当裁判所に管轄のないこと前認定のとおりであるからこれと併合された為替手形金について当裁判所が管轄権を適法に取得しないこというまでもない。
(三) 以上のとおり本件訴訟に付ては全部当裁判所にその管轄がないのでこれを被告の普通裁判籍所在地の裁判所に移送すべきものと考える。而して被告が本件起訴当時(現在でも)下関市内に住所を有していることは本件記録上明かであるから被告の普通裁判籍所在地を管轄する裁判所は山口地方裁判所下関支部であることが認められる(なお(二)の為替手形金の義務履行地の裁判所も同裁判所である)。よつて民事訴訟法第三十条により主文のとおり判決する。
(裁判官 増田幸次郎)